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パックンの妻・芽衣さんとの馴れ初めは?年賀状で再会、2004年の結婚へ

パックンことパトリック・ハーランさんの妻は、芽衣さんです。2004年に結婚し、出会いのきっかけは新宿での路上ライブでした。

2026年10月26日の『徹子の部屋』では、妻が2025年に46歳で亡くなったことを明かしました。突然の知らせに驚いた方も多かったのではないでしょうか。出会いを振り返る取材には、芽衣さん本人の言葉も残っています。

楽屋のテーブルに置かれた手紙とペン、向かい合う二脚の椅子と二つの湯飲み
手紙と対話をモチーフにしたオリジナル挿絵。実際の年賀状や自宅の写真ではありません。

パックンの妻・芽衣さんはどんな人?

2021年の『週刊女性PRIME』の取材には、パックンさんと妻のハーラン・芽衣さんが登場しています。芽衣さんは、出会った当時はモデルをしていた女性として紹介されていました。

パックンさんがひかれていたのは、見た目だけではありません。話が面白く、意見が違っても議論ができるところ。10月26日の放送を伝えた報道でも、妻との会話が刺激的で楽しかったと振り返っています。

週刊女性PRIME・2021年の夫婦取材

馴れ初めは路上ライブ。でも「ファンだった」は少し違う

パックンさんは、自分たちの路上ライブを見てくれた女性だと思って、芽衣さんに声をかけたそうです。ところが、本人の説明は少し違っていました。

芽衣さんが足を止めたのは、ライブが終わった後、パックンさんが周囲のごみを拾っている姿を見たから。当時はパックンマックンのことも知らなかったと、夫婦取材で話しています。

「舞台を見たファンと芸人」という出会いではなかったのですね。同じ場面でも、夫婦で覚えている入口が違うところが印象的です。

一度離れた二人をつないだ年賀状

そのまま交際が順調に続いたわけではありません。何度か食事をした後、芽衣さんはパックンさんからの電話を着信拒否にしたこともあったそうです。

再会のきっかけになったのが、1年半後に届いた年賀状でした。久しぶりに会ったパックンさんから真剣さが伝わり、4年の交際を経て結婚へ進んだと紹介されています。

電話では届かなかった気持ちが、一枚の年賀状で再びつながった。出会いだけではなく、その後に信頼を築き直した時間があったのですね。

2004年の結婚から、二人の子供との日々へ

夫婦と家族の歩み
時期 確認できる出来事
出会った頃 路上ライブ後に知り合う
一度連絡が途切れた後 年賀状をきっかけに再会
2004年 結婚
2009年3月 第2子となる長女の誕生を報告
2025年 芽衣さんが死去。具体的な月日は今回の報道では説明されていない
2026年10月26日 番組で亡き妻への思いを語る

子供は長男と長女の二人

ORICONは2009年に第2子の女の子が誕生したことを報じています。2021年の夫婦取材では、長男と長女を育てる家族の姿が紹介されていました。

芽衣さんは、パックンさんが家事や子育てにも加わり、家庭の決まりを親子で話し合っていたと話しています。夫婦で話すだけでなく、子供にも考えてもらう家庭だったようです。

ORICON・2009年の第2子誕生報道

2026年に語った、亡き妻への思い

10月26日付の放送後報道では、パックンさんは長い闘病の末に妻を亡くしたこと、子供たちと少しずつ前を向いていることを話しています。

ただし、参照した放送後の記事には具体的な病名の説明はありません。年齢や「闘病」という言葉から病名を決めつけることはできません。

出会いの思い違いも、一度離れた後の再会も。2021年の取材と今回の言葉には、長く会話を重ねた二人の時間が残っています。

10月26日・『徹子の部屋』放送後の報道

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